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大鳥の歴史

大鳥集落の創村の伝説は鎌倉時代にさかのぼる。

1193年(建久4年)5月、源頼朝が富士の裾野で巻き狩を催した際、曾我兄弟がかねて親の仇とつけ狙っていた工藤祐経を討って亡父の恨みを晴らすという仇討事件が起きた。

不在中、伊豆の国伊東の館を守っていた舎弟の工藤大学に事件があって間もなく頼朝の寵臣が訪れて身を隠すことを勧める。

 

大学はこのすすめに従って一族や百姓を引き連れて伊東の庄を後にし、信州を経由し越後を目指して落ち延びていった。

越後の国にたどり着いた大学ら一行は6・7年間、高田(現在の上越市)で暮らしていたが、金山見立役として諸国を廻っていた人物より

「出羽の庄内を流れる川の上流に広い野原があり、そこは落ち人が隠れ住むのに適した土地である」という話を聞いた。

 

そこで大学は一族の者と話し合い新天地を求めることに決めた。

幸いにも越後・高田や移住の途中に通り過ぎた村上において飯米や金子を借用するなどの援助もあり

越後と出羽の国境の山々を越えて大鳥の地に辿りつき、大鳥川のほとりに住みつくことになったのである。

 

この時はるばる伊東の荘から持参してきた工藤家の宝の中には兜・鎧・刀剣の他に、工藤家の鎮守として相模国田中の森に鎮座してあった大日如来像を工藤一族の守り神として捧持。

二階巣(現・誉谷集落)の大日堂に祀った。

仏像は「火伏せ如来」ともいわれ、誉谷集落では昭和40年代までの3百数十年間、火災が起きなかったという。

 

参照資料:朝日村史(上巻) p108-110

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